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第一章『第十話:候補者たち・4』

 ――体良くはぐらかされているような気がする。
 微かにムッとしながらも、ユダはどうすればまともに答えてもらえるだろうかと思案していた。
 すると、口元で噛み殺すように控えめな笑いを漏らした男は、何を思ったか唐突にユダの眼前で片膝を折った。白いズボンが土に汚れることなど、気にもかけない様子で。
「ユダ、君のことはすべてレヴィンから聞いている。君のひたむきな思いは、王国騎士として相応しい志だよ」
「は、はあ……」
 驚きに目をしばたたかせるユダの手を取り、赤髪の男は優しげに目もとを緩めて、まっすぐにこちらを見上げていた。
「何より君は、野菊のようにたおやかで可憐だ。君の眩しい笑顔は、瘴霧にたゆたう民たちの希望の火種となり、澄んだ声は、日夜をわかたぬ戦いに疲弊しきった兵たちの癒しとなるだろう」
 そして有ろうことか、男は困惑を強めるユダの手を躊躇なく自らの口元へ引き寄せ、静かにキスを落としたのである。
「ただひとつ気掛かりがあるとするなら、それは恋という名の“不穏”が生じてしまうかもしれないことだけだね。例えば今の私のように、君の麗しい姿に心乱れてしまう者も多く現れるはずだから」
「え? え……?」
 男の思惑がさっぱり分からない。
 と言うより、そもそも根本からして、彼が何を話しているのか理解出来なかった。ユダとて、もちろん“口付け”という行為の持つ意味を全く知らぬ訳ではないが――
 妙に癖の強い男の言い回しをどうにか咀嚼しなくてはと焦るあまり、ユダは無言のままパニックに陥っていた。
 すがる思いで、たまたま真正面に立っていた剣士に救難を訴えてみる。しかし彼は、まるで害虫でも見るかのように男の背中を睥睨(へいげい)するばかりで、全くもってユダの視線に気付いてくれそうな気配はなかった。
「どういうつもりなんですか、貴方は」
 そこへ助け舟を出してくれたのは、やはり無二の相棒であった。
 ユダを背中の後ろに引っ張り込んで隠すと、ガラハッドはそのまま足蹴にしかねないほどの勢いで男を睨み付けていた。
「いやあ。話に聞いていた彼女が想像していた以上に美しかったものだから、嬉しくてつい」
 しかし、彼の露骨な威圧行為にも顔色ひとつ変えず、大らかに肩を揺らして笑った男はゆっくりと立ち上がり、今度はガラハッドの前でひょいと身を屈めてみせた。
 見ているこちらまでがぎょっとさせられてしまうほど、ガラハッドの鼻先に顔を寄せた男は、再び満面の笑みを浮かべ、しれっとこんな台詞を吐いていた。
「でもね。私が一番欲しいのは君なんだ、ガラハッド」
 理由のほどは目下不明だが、見てはいけないものを直視してしまったような、何とも後ろめたい心地がした。
「――あの、お邪魔しました」
「ちょっ……! ちょっと待ってよ、ユダ!」
 背徳感から来る重圧に耐え切れず、思わず全力で踵を返しかけたユダの腕を、半ばしがみ付くような格好でガラハッドが引き寄せてくる。
「ははは、何かとんでもない勘違いをされてしまったようだね。私が欲しいと言ったのは、君の持つ優れた洞察力と、心の強さのことだよ」
 色めき立つ相手方を一笑に付した男は、すっかり蒼ざめたガラハッドの肩を、ぽんと景気良く叩いた。
「常に現状のどこかに疑問を持ち、理解出来ない要素が存在することを嫌う――君は知識の探究者として、理想的な性格をしている。目先の利益や感情に踊らされることなく、事実だけをはっきりと捉え、受け入れることには、途轍もない勇気と覚悟が必要なんだ。君にはその大器がありありと伺える」
 言われたガラハッドは、口元をいびつに波立たせ、何とも不可解な表情を浮かべている。まるで顔のどこに力を入れていいものかが分からなくなっているかのような顔つきだ。
「そこまで褒めちぎられると、かえって居心地が悪くなりますね。これまでも、僕ではなくユダがそうなる場面は何度も見たことがありますが――」
「おや、そうかい? 君の周りはよほど、人を見る目が成っていないんだな」
 辿々しく答えたガラハッドを前にして、男は心から不思議そうに首を捻っていた。
 本人も言っていた通り、相棒が同性から熱烈な賛辞を浴びせられる場面に出くわしたのは初めてだ。
 こういう時、彼は怒るんじゃなく、照れるんだな。
 喉元までせり上がってきつつあった笑いの衝動を、無理くり空気と一緒に飲み下す。
 そんなユダをやりにくそうにちらちらと側めつつ、ガラハッドは小さく咳払いをこぼしていた。
「あなたはおそらく、この国の中枢に携わる人間なのでしょうね。はっきり言いますが、僕はこの国の現状に大きな疑念を抱いています。例えばレヴィンさんのような、騎士の鑑と褒めそやされるような志など抱いてはいませんよ。それでもまだ、僕を使いたいなどと言えますか」
「もちろん。私は、君のような人間こそ味方につけたいと思っているんだよ」
 唇を噛み締め、たじたじと後ずさったガラハッドは、もはや男の満面の笑みを直視できない様子である。
「まだ言うか」と恨み言のように漏らす相棒のこめかみを滴る冷汗が、ユダにはいたく新鮮に映った。
「ねえ、ガラハッド」
 すると、今一歩というところまで相棒をとことん追い詰めた謎の男が、不意にユダの方へ目配せをこぼした。
「何です……?」
 四方へしきりに目を泳がせる相棒は、おそらくそれに気が付いていない。
 軽快にウインクをしてみせた男の得意満面を目の当たりにして初めて、ユダは彼がここへやって来た真の目的を察していたのだった。
「君が望む通りにこの国の実状を知るには、思い切って現場に入り込んでしまうのが一番だと思わないかい。だから君は、やはり騎士になるべきだ」
 ああ、やっぱり。
 彼は自分たちのことを“レヴィンから聞かされた”と話していた。
 レヴィンはきっと、ユダのことだけに限らず、サイの誘いにガラハッドが渋い顔を見せていたことも話しているに違いない。そしておそらく、身内のユダですら、彼の説得に手をこまねいていることも。
 おそらく目の前の弁舌さわやかな男は、レヴィンの差し向けた“刺客”なのである。牢固たるこの古城のように座して動かなくなってしまった、相棒の意固地な心を溶かしにやってきたのだ。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず――というやつですか。確かにそれも、一理あるかもしれませんが……」
 淀みのない男の切言に理解を示したのか。はたまた、熱烈な求愛にほだされてしまったのか――
 否、彼に限って後者は有り得ない。
 この相棒はときに強く意固地を通そうとすることもあるが、元来、筋の通った意見には等しく耳を傾ける|質《たち》なのだ。
 彼は今まさに、男の説得に大きく心を揺さぶられている。
「ああ、それだよそれ。いい表情になったね、ガラハッド」
 本人は不本意を拭えない様子だが、男と話す前と後とで、相棒の表情はユダでさえ驚くほど変わっているように見えた。
 毒気が抜けたとでも言うのだろうか。彼の全身を覆っていた刺々しい気配が、随分と和らいだように感じられたのだ。
「今すぐにとは言わないが、是非とも前向きな返事が聞けるのを期待しているからね」
 そうして。
 黙り込んだガラハッドを満足そうに見下ろした男は、「ご機嫌よう」と優雅に手を振り、真紅のコートをなびかせて、颯爽とその場を後にしてしまった。

 ――気がつく頃、辺りは耳鳴がするほどの静寂に包まれている。
 男の後方へ陰のように付き従っていたあの剣士の姿も、いつの間にかなくなっていた。
「結局あの人、何者だったんだろう――もしかして、王様とか?」
 去り際の男の言葉を思い返しながら、ユダは頬を掻いていた。
「いや、たぶん違う。確かこの国の王は“審判”の直後、病に倒れたと聞いているし――でも、王国の中枢に関わる人間であることは間違いないね。あんなに強い護衛がついていることを考えても、かなりの重要人物なんじゃないかと思うけど」
 ああ、君は――やっぱりいつも通りの君なんだね。
 柔和な面持ちで分析結果を披露する相棒の姿を見て、ユダはようやっと背負い続けてきた肩の荷がすべて下りたような気になっていた。
 今の彼ならばきっと、先ほど赤髪の男も言っていた通り、目先の感情に捉われることなく、今後の行き先を裁定してくれるに違いない。
 それでも彼が騎士を目指すことを望まないのだとすれば、引くこともひとつの答えかもしれないと思う。
「まあ、いいや。とにかく今日はもう休もう。同室の人たちにも迷惑がかかりそうだしね」
 腕を突き上げ、ぐっと背中を伸ばす仕草をみせたガラハッドは、気だるげにとろりと瞼を下げ、客室の並ぶ西側の棟を見やっていた。
「僕はあの部屋に泊まっているから。それじゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ。ガラハッド」
 そういえば。
 彼の同室者とは、どんな人間だったのだろう――彼らもラナやメリルのように、すんなりと打ち解けられる人柄ならいいのに。
 明日が来ればきっとまた、たくさんの新しい出会いが待っているのだろう。
 胸に溢れた夢と期待を、たったの一欠片もこぼさないために。
 相棒の背中を見送り、たまらず自らを抱きすくめたユダは、友人の待つ客室へと躍るように駆け出していた。

*****

 あくる日のことである。
 清潔な浴室で旅の疲れと汚れを残らず洗い落とし、暖かな寝床で貪るように眠りこけていたユダは、記憶に残る中で間違いなく最も清々しい朝を迎えていた。
 災厄によって甚大な被害を受けた後のこととは言え、ここトランシールズは、大陸において最も魔道研究の進んだ、魔術士たちの楽園である。一見すると何の変哲もない調度品が、よくよく調べれば一級の魔具(マジックアイテム)だったりすることもあるから侮れない。
 スイッチひとつで、温かいお湯がいくらでも湧き出してくる不思議なパイプ。沸かしたお湯の温度をいつまでも逃さず保ってくれるポットに、汚れた食器を元通りに洗浄してくれる戸棚、などなど。この客室内だけでも、外界では見かけることさえなかった便利な魔具が、当たり前のように備え付けられているのである。
 そんな魔法仕掛けの調度を駆使して、朝一番に紅茶を淹れ、昨晩の残りのタルトと、焼き立てのパンにかじり付く。寝ぼけ眼でフォークに歯を立てるラナを尻目に、のんびりと茶葉の香りを楽しむメリルを尻目に、ひたすらユダは、目の前の食事を喉の奥に掻き込んでいた。
 そうして、とどまるところを知らぬ食欲のままに、ユダが何度目かのおかわりをせがもうとしたときのことだ。ありったけ“飢えない”幸せを噛み締めていたユダのもとへ、唐突に伝令が舞い込んで来たのである。
『守護騎士候補者は、今すぐ全員、東の大広間へ集まるように』
 泣く泣く食べ残す羽目になったおかわりのことはひどく気掛かりであったが、相棒を含む他の候補者たちとようやく対面を果たせる機会が訪れたことを、ユダは純粋に喜んでいた。
 ところが――

「遅い」
 ドスの効いた声で呟いたのは、ラナだった。
「遅い遅い遅い遅い! 遅い!」
 程なくしてその低音は、いつものヒステリックな叫び声に変わる。
「ったく、何やってんのよあのバカ! こっちはちゃんと、指定された場所も時間も守って集まってるって言うのに!」
 どたばたと文字通り地団駄を踏み鳴らし、ラナは力一杯怒りを露わにしている。
「苛つく気持ちも分からなくはないですが、ごちゃごちゃ言ったところで何も始まりませんよ。体力の無駄遣いはやめたらどうです?」
 その隣で、うんざりしたように目を据わらせたガラハッドが、静かに棘を刺し込んでいた。
「ほんとあんたって腹立つ言い方しかしないんだから――あたしだって暇じゃないんだからね! 今はもう昼なのよ? 呼び出された時間は朝! これがどういうことか、分かってんの?」
 怒り散らすラナもラナだが、いちいち相手にするガラハッドもガラハッドだ。
 おそらく両者とも、次から次へと湧いて出てくる苛立ちのぶつけどころを求めているのだろう。
「うるさいなあ……ガラハッドに怒ったって仕方ないだろ。君こそちゃんと分かってるのかい。読書の邪魔だから、少しは黙っててよ」
「ああっ……今日はムカつくのがもう一人いるんだった……!」
 歯軋りするラナの側で分厚い魔術書をパラパラとめくっているのは、黒魔術士のエスターだ。彼は昨夜、ガラハッドと同じ部屋に宿泊していた守護騎士候補者である。
 絹糸の如くしなやかな金髪と、空色の瞳。瑞々しく血色の良い、白磁のように滑らかな肌。何気ない仕草のどこを切り取っても絵になる、美しい少年だ。あまりの線の細さに、初対面のときこそユダは、彼を女の子だと信じて疑っていなかった。
「どうせ大した用事じゃないでしょ。君は気構えからして相応しくないんだよ」
「何よ、偉そうに!」
 声変わり前の澄んだ高音を響かせ、エスターは抑揚のない言い回しでさらりとラナを全否定していた。金色の睫毛のかかった双眸に温度はなく、怒り狂うラナの姿を僅かほども気に掛けてはいないように見える。
 実年齢よりも随分大人びた、知的な美少年――ほんの少し、嫌味のスパイスが効いている。
 それが、ユダから見たエスター少年の第一印象だった。

「それなら一応聞きますが、貴女のこの後のご予定というのは?」
「え? えっと……」
 おそらくは、退屈しのぎのつもりなのだろうが――大広間の隅の柱にもたれかかっていた相棒が、唐突にラナの話を真に受けたような素振りを見せた。すると彼女は、露骨に戸惑った様子でつぶらな瞳をくるくると動かし、宙を仰いでいた。何も考えず話していたことが丸わかりの反応である。
「|談話室《サロン》で紅茶を飲むでしょ。あとは、カイル様の麗しい姿を遠くから観察したりとか、騎士団長の麗しい姿を遠くから」
「あーはいはい、それはさぞかしお忙しいでしょうね」
「そらみろ。結局どうでもいい予定しかないんじゃないか」
「うるさい! お前らほんとにうるさい!」
 それでもどうにか、“らしい”理由を指折り数えて捻り出したラナを、ガラハッドとエスターの二人が、束になっていじくり回す。
 朝方ここへ集まってから、もう何度となく目にした光景であった。
「三人とも、もう少し仲良くしようよ……」
 その度にユダは乾いた笑いを浮かべ、険悪に濁ってゆく三人の空気を少しでも和ませようと努めるのだった。
「せめてその無駄な時間を、魔術の勉強にでも充てたらどうなんだい。だから君は、いつまでたっても未熟なままなんだよ。身を粉にして王国の復興と魔導の研究に励んでるレヴィンを、少しは見習ったら? 君、学生の頃から変わらず、簡単な魔術書ですら読めないままだよね?」
「うるさいわね! お兄ちゃんとあたしとじゃ、立場も出来ることも違うもの! 自分だってカイル様とは全然違うくせに!」
「兄さんと僕が違うのは当たり前だよ。でも、志はそれほど変わらないと思うけど?」
「エスターの言う通りですよ。貴女は根本的に根気と精進が足りてないんです」
「何よ二人して! イヤミ男が集まると、ロクなことがないわね!」
「ねぇみんな……もっと仲良くしようよ……」
 そんな風に何度目かの殺伐としたやり取りが流れていくと、さすがのユダも待ち続けることにひどく嫌気が差してきた。
 と言うよりも、空っぽの胃の激しい自己主張を我慢し切れなくなってきたのだ。
 朝から特段変わったことは何もしていないというのに、健康な体というものは、つくづく貪欲である――唸りをあげる下腹を抑えつけ、ユダは傍らでずっと皆の様子を朗らかに見守り続けていたメリルに声を掛けた。
「それにしても、ちょっと遅いね。何だか、お城の中全体がバタバタしてるみたいだし」
 するとメリルは、下腹を撫でるユダの手をそっと取り上げ、「内緒ですよ」と小さく口元で人差し指を立てると、こっそりユダの手の中に、淡いピンクの包み紙にくるまれたキャンディを忍ばせてくれた。
「守護騎士に相応しい人材を選抜することは、今の騎士団にとって最重要課題ですからね。きっと準備に手間取っているのだと思います。“選抜試験”の内容も、今しがた決まったばかりのようですし」
「選抜試験……?」
 他のメンバーに背を向ける格好で、まんまとメリルの差し入れにありついたユダであったが、素っ頓狂を漏らした拍子に、口の中のものまでを吹き出してしまいそうになっていた。
 慌てて両手で口を塞いだユダに向かって、メリルはくすくすと遠慮がちに笑いをこぼす。
「ユダはまだ聞いていませんでしたか? 私たちは現時点では一介の“候補者”にすぎません。守護騎士として登用されるかどうかは、これから出される課題をうまく切り抜けられるかどうかにかかっているんです」

 

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