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第一章『第八話:候補者たち・2』

 促されるまま、独り占めするには余りある大きなソファに座らされたユダは、広い客室のどこに視線を落ち着けて良いものか分からず、きょろきょろと辺りを見回していた。
 古めかしいながらも上品な艶を帯びたマホガニーのテーブルをひとつ挟んで、真向かいのソファに腰掛けていたラナが、満面の笑みを咲かせユダの手を取る。
「じゃあ、改めて自己紹介するわね。あたしはラナ、白魔術士よ! まあ魔術のついでに、ちょっぴり護身術がわりの格闘技も嗜んではいるんだけど。とにかくよろしく、ユダ。お友達になってね」
 部屋に引っ張り込まれた当初こそ、“拉致”などという物騒な単語が頭の中をよぎりはしたのだが。
 何のことはない。彼女は純粋にユダの来訪を歓迎しているのだ。
 ラナの後方にあった窓の向こうで、こちらへ小さく会釈をして去っていった彼女の兄――レヴィンの表情が、想像していたよりもずっと穏やかだったことで、ユダははっきりと確信を得ていた。
 すると途端に、強張っていた四肢が急激に自由を取り戻してゆく感覚をおぼえる。
「私は学者のメリルと申します。主として、異形生物学と考古学の研究をしています。よろしくお願いしますね、ユダ」
 活発なラナとは打って変わって、ユダの後ろでぺこりと一礼したもう一人の女の子――メリルの声調子は、随分と落ち着いていた。
 メンバーの中では最も体格が小さく、見るからに穏やかそうなメリルは、これからこの荒れ果てた世界で共に戦ってゆく仲間としては、少し頼りなさげにも思われる。
 しかし、彼女の澄んだ声音には揺るぎない“力”があった。不思議と、話し込むほど相手に大きな自信とやすらぎを与えてくれるような、安定性と包容力を感じたのだ。大きな組織のまとめ役としては、相応しい人柄かもしれないと思う。
「僕はユダだよ。今はちょっと休ませてもらってるけど、ガラハッドっていう白魔術士の相棒と一緒に、世界を旅して回っていたんだ。二人とも、よろしくね」
 自然とこみ上げてきた笑顔でユダが応えると、ラナは少し心配そうにこちらを見上げ、長い睫毛に縁取られた真ん丸い緑の瞳を、ぱちぱちと瞬かせていた。
「ユダは外から来たんだ? ここまで来るの、すごく大変だったでしょう? 外は瘴気と異形でいっぱいだもの」
「そうだね……でも、一人で旅をしてきたわけじゃなかったから、平気だったよ。僕の相棒はすごく頼りになるんだ」
 ほんの少し熱を入れてユダが語った途端、テーブルに乗り出していた半身を引き上げ、背もたれに体重をあずけたラナは、何故だか意味ありげな含み笑いを浮かべていた。
「ふーん、そうなんだ」
 何かおかしなことでも言ってしまったかと思案してみるも、別段これといって思い当たる節はない。
「そのガラハッドって人は、どこにいるの?」
「あ、えっと――今は別室で休ませてもらってるんだ。夕方にちょっと、飲みすぎちゃったから」
 先刻、薪束か何かのように担がれ連行される羽目になってしまった、相棒の何とも無様な姿を思い返しながら、ユダは苦笑を浮かべ頭を掻いていた。飲み過ぎで倒れてしまった男のことをいくら“頼りになる”と力説したところで、説得力などないのかもしれない――そんな風に、ほんのりと後悔も募らせながら。
「分かった、どうせサイの奴に呑まされたんじゃないの? あいつほんと、ロクなことしないんだから。付き合わされた方は、いい迷惑よね!」
 それを聞くや否やラナは、苦虫を噛み潰したような顔でサイの名を口にしていた。
 彼女の反応を見る限り、サイのああいった振る舞いは日常茶飯事なのかもしれない――とはいえ、今日に限って勝手に酒を煽ったのは、他ならぬガラハッド本人であったりするのだが。
「はは……そうだね」
「これだから、酒呑み男は嫌い」だとか、「ああいう大人にはなりたくない」とか、ぶつくさと吐き捨てるように悪態をつき始めたラナの態度に気圧され、ユダはすっかり真相を話すタイミングを逃してしまっていた。
「ユダ……ガラハッドさんのことが心配なのではありませんか?」
 その時、どこか離れた場所から、憂いに満ちたメリルの声が届いていた。いつの間にやら、彼女はソファの周辺から姿を消している。
 メリルの声が聞こえた客室の奥からは、カチャカチャと硬いものが触れ合うような音がしていたが、彼女がそこで何をしているのかまでは、よく分からなかった。
「そんなことないよ。彼の介抱を引き受けてくれたのはレヴィンさんだからね」
 遠くまで声が届くようにと、なるたけ背筋を張ってメリルの呼び掛けに応じると、彼女はまた元通りの穏やかな口調で「そうでしたか」と短く零した。
「ねえねえ、ガラハッドってどんな人なの? 歳はユダと同じくらい? あと、その人ってかっこいいの? カイル様と比べてどっちがいいと思う? 当然、サイよりは絶対かっこいいはずよね! ね!」
「えぇっ? えっと……えっと」
 すると、すかさずユダの真隣に移動してきたラナが、「余所見は許さない」とばかりにユダの腕をがっちりと抱え込み、矢継ぎ早に質問を畳み掛けてきた。
 もつれる舌と格闘することで手一杯になっていたユダに、ラナはきらきらと眩しい眼差しを向けてくる。
 ここまで距離を詰められては、軽く流してしまうことなど出来そうにもない。
 もう一度、ゆっくりとラナの質問を頭の中で転がしつつ、ユダは“まだ元気だった頃”の相棒の記憶に思いを馳せていた。
「えっとね、歳は向こうが少し上だけど――かっこいいかどうかは、考えたことないなあ。カイルさんみたいな感じとはちょっと違うし、サイさんとも全然違うし」
「そうなの。で、ユダはその彼のこと、どう思ってるの?」
 おそらく彼女の“一番聞きたかったこと”は、それだったのではないかと思う――山ほど質問を重ねておきながら、まるでそれまでの答えなどうわの空のような話し振りだったからである。
 考えるうちにラナは、こちらの答えを待ちかねた様子で、再び火が付いたように畳み掛けてきた。意識がぐらつくほどの、激しい揺さぶりを交えながら。
「ねえねえ、どうなの! どう思ってるの!」
「ど、どうって……さっきも言った通り、頼りになる相棒だと思ってるよ」
「あーもー、そうじゃなくって! ユダは彼のことを好きなのかって聞いてるのっ!」
「そりゃ、嫌いだったら一緒に旅はしてないと思うけど」
 ユダの場合はそれ以前に、好き嫌いや損得の感情でもって、彼を無二の相棒と決めている訳ではないのだが――
 おそらくその辺りを今、どれだけじっくり話してみたところで、到底まともな解釈などしてもらえそうもない。
 そんな折のことであった。
「ラナ、ユダが困っていますよ。きっといろいろあって疲れていると思いますし……質問責めにするのはやめましょう」
 静かに泡を食っていたユダにさりげなく助け舟を出してくれたのは、ひょっこりと奥から顔を出してきたメリルであった。
「え〜っ……つまんない。これからが良いとこなのに!」
 顔中に皺を寄せ、不満いっぱいに頬を膨らませたラナを見て、メリルは口元に手を添え遠慮がちに、くすくすと笑いをこぼしてみせた。
「それよりラナ、ちょっと手伝ってください」
「あー……はいはい。ったくもう、しょうがないなぁ」
 メリルに手招きされたラナが、重々しく溜息をついてソファから立ち上がる。
 何が始まるのかとそわそわしていると、二人はすぐにまたユダの前へ姿を現していた。奥から戻ってきたラナとメリルは、それぞれに大きな木製のトレーを手にしている。
 トレーの上には、ほかほかと湯気を吐き出すティーポットと、ぴったり三人分のカトラリー一式が載せられていた。
「お茶が入りましたよ。さあユダ、冷めないうちに召し上がってください」

 こなれた手つきで、メリルが真っ白な食器を次々とテーブルに並べてゆく。一方、運んできたトレーをテーブルに載せたあと、すぐにまたユダの向かいのソファに座り直していたラナは、両手で膝上に頬杖をつき、陽気に鼻歌を歌いながら、メリルの手際を見守っていた。
 そうするうち、ユダの眼前には、飴色のつやつやとした焼き菓子と、白いティーカップに映える鮮やかな琥珀色の飲み物が鎮座していたのだった。
 城下の外れにあった《青銅の梟亭》では、軍資金の残りを気にしていたおかげで――ヤケ食いに走る相棒と、酒ばかり勧めてくる同行者のせいもあったのだが――満足な量の食事は摂れていなかった。
 あたたかな湯気ともに立ちのぼってくる甘酸っぱい林檎の香りと、ほんの少しつんと尖ったシナモンの香り。優しく手を取り合う魅惑の風味と対面を果たすや否や、ユダの胃袋は地鳴りのような悲鳴をあげ始めていた。
 おそらくこれは、“アップルタルト”という焼き菓子に違いない。城下に滞在していた折、大通りの露店で売られているのを見かけた記憶がある。悔しくもその時は、生唾を飲み込んで通り過ぎることしか出来なかったが――
 こんなの、反則だよ……!
 既に先ほどから、何年分かの空腹感がまとめて押し寄せてきたかのように、胃袋が大暴れを繰り広げている。口端を滴り落ちた液体を、ユダは慌ててじゅるりと拭った。
「さあ、どうぞ召し上がってください。私が手作りしたものなので、お口に合うか分かりませんが」
「合う――合う! 合うに決まってるよ、メリル! これ自分で作ったの? すごいよ!」
「ふふ、ありがとうございます。お菓子を作るの、好きなんですよ」
「それじゃ遠慮なく! いっただっきまーす!」
 待ってましたとばかりに威勢良く声をあげたラナが、感動に打ち震えていたユダのことなど気にもとめない様子で、早々とタルトに手を伸ばしていた。
 負けじとユダもケーキ皿に添えてあった銀のフォークを手に取り、そそくさと切り分けたタルトをひとかけ、夢中で口の中に放り込む。
 瞬間、とろけるような甘さが口いっぱいに広がっていた。
 噛み締めるたび幸せが滲み出してくるような、とてもあたたかい味がする。
 ラム酒の香りをアクセントにした、ほのかな酸味と食感の残る黄金色(こがねいろ)のコンポート。滑らかなタルト生地にたっぷりと敷かれた香ばしいアーモンドクリームとの相性は抜群である。甘酸っぱさの後にふんわりと鼻に抜けてゆく、濃厚なシナモンの風味が、更なる食欲をそそる。
 頬の内側のそこかしこが、たった一瞬でも長く、この至福を感じていたいとじたばたしているのがわかった。
「美味しい――僕、こんなに美味しいもの食べたの、初めてだよっ!」
「本当ですか? とても嬉しいです。ありがとうございます、ユダ」
「うんうん、メリルの作るお菓子はいつ食べても最高よね。でもまあほんと言うと、ひとつ前に作ってもらったチェリーパイの方が美味しかったんだけど」
 顔中の筋肉が引きつって痛むほど、一口一口を噛み締めて食べているユダに対し、ぱくぱくと矢継ぎ早にタルトを口に放り込んでいるラナは、何とも呑気な調子で感想を並べている。
 なんて羨ましい境地なのだろう――きっと彼女は、毎日のようにメリルの作ったお菓子を食べて過ごしてきているに違いない。
「そうですか? ではまたチェリーが手に入ったら、今度はチェリーパイにしますね」
 別段ラナのほんのり辛口な意見を気にした風でもなく、メリルはまたにっこりと柔和な笑みを浮かべる。その芳醇な香りを余すところなく堪能しようとするかのように、彼女はゆっくりと目を伏せ、真っ白なティーカップに口をつけていた。
 ――こうなれば、今までの遅れは速さで取り返すべきだ。
 目先の美食にがっつこうとするあまり、すっかり奇妙な使命感にとらわれていたユダは、既に二きれ目のタルトを口いっぱいに詰め込んでいた。
 ふと、向かいの二人が紅茶を口にする様を前にして、急に飲み物が欲しくなってくる。
 そこで改めてユダは、柔らかな蒸気を放つティーカップを、まじまじと観察していた。
 今の今まで、まともにティータイムを楽しんだ経験などなかったユダは、果たして自分のこれまでの所作が、他人から見てどんな風に映るのかということが、何故だか唐突に気になり始めたのである。
 フォークやナイフの持ち方は?
 菓子の切り分け方は?
 そもそも、ソファへの座り方はこれで正しいのだろうか?
 相棒のガラハッドは、そこそこお行儀良く食事をしていたような気はするが――反面、自分はどうだったのだろう。これまでそんなことは、気に掛けたことさえなかったのに。
 もしかして、一緒にいるのが“女の子”だからなのかな――
 思えば、同じ年頃の女の子とじっくり話をするのは、記憶にある中ではこれが初めてのことかもしれない。
 嬉しい反面、隠し切れないくらいの戸惑いが、後から後から湧いて出ていた。
 ティーカップに伸ばしかけた手を、ぴたりと止める。そして、目も眩むほどの純白を纏ったそれを汚してしまったりはしないだろうかと、ユダは自らの指先をまじまじと見つめていたのだった。
「ユダ、どうしたの? そんなに気を遣わなくても大丈夫。もっと気軽にお話してくれたらいいのよ?」
 そんなユダの顔を、再びラナが心配そうに覗き込んでいた。
「でも、その……ラナはレヴィンさんの妹だよね。だったら、フェミアの領主様の娘ってことなんでしょ?」
 ――違う。
 気になっているのは、そんな薄っぺらなことじゃないのに。
 兄のレヴィンがユダにみせた振る舞いを思い返せば、彼女が身分差などという表面的な問題にこだわる人間でないのは、確認するまでもないことだと分かっている。
 なのに、口をついて出てくるのは、思惑とは違った言葉ばかり。けれどそれでも、“女の子”としての引け目が、ますますユダを閉口させる。
 侘しいやら、情けないやら。
 遣る瀬ない思いに打ちひしがれ、ユダはすっかり言葉をなくしていた。
「なーんだ、そんなこと気にしてたの?」
 しかし、対するラナの反応は随分とあっさりしていた。左手のティーカップを脇へ置いたラナは、大皿に残ったタルトを手際よくユダの皿に移しながら、溌剌(はつらつ)と笑ってみせる。
「確かにあたしはエルンスト家の生まれだけど――小さい頃からお兄ちゃんたちとは離れて暮らしてたし、普通の人と同じくらいの生活しかしてきてないから」
「え……どうして?」
 ラナの盛り付けてくれたおかわりのタルトに手を付けるか否かを迷いながら、ユダはちらとラナの笑顔を覗き込んでいた。
 するとラナは再び身を屈め、ユダの鼻先でとんとんとエメラルドの瞳を指差してみせた。
「あたしの目を見てみて、ユダ。お兄ちゃんの目と全然違うの、分かるでしょ? あたしはエルンスト家の人間でありながら、強い魔力を秘めた証だっていう、妖瞳(オッドアイ)を持って生まれてこなかったのよ。つまり一族の中じゃ、とんだ落ちこぼれだったってわけなの。そのせいで、小さい頃からずっと親許を離れて暮らしてきてたし、たくさんいたお兄ちゃんたちとは、ほとんど話もしたことなかったわ――まあ、レヴィンお兄ちゃんだけは変わり者だったから、ちょくちょく昔から、私に世話を焼きにきてくれてたんだけどね」
「ラナ……子供の頃から王都で暮らしていたという話は聞いていましたが、そんなことがあったんですね」
 どうやらメリルも、この話を耳にするのは初めてだったようである。心痛を露わに目を伏せ、メリルはそっとティーカップをテーブルに下ろしていた。
「でも、普通の暮らしもそれなりに楽しかったのよ。いろんな友達とも遊べたし、実家で暮らすよりはずっと自由に過ごせたはずだもの。あたしは、自分の生まれを不幸だと感じたことなんてないわ! まあ魔術の才能がなかったおかげで、士官学校の成績は最悪だったけど――」
 最後に苦々しい笑みを見せたことを除けば、ラナの声振りはすこぶる明るかった。
 確かに彼女の言う通りだ。“才能に恵まれていれば幸福。そうでなければ全て不幸”などという考えは、きっと料簡違いも甚だしい。
 どんな人生を歩んでも、選び取った道すがらでしか味わうことのできない幸せがある――彼女の晴れ晴れとした笑顔は、ユダにそんな大きな希望を抱かせてくれたのだった。
「それにね。あたしにはあたしの、異形に立ち向かうための特別な力があるの! この力を役立てたくて、あたしは守護騎士(ガーディアン)を目指そうと思ったんだから!」
 熱意を語ってすぐ、ぱっと飛び上がるようにソファを離れたラナは、右の拳を固めたまま静かに目を閉じ、小さく魔術の詠唱を呟いていた。
「わ、すごい!」
 詠唱の開始と同時に、ラナの全身から湧き出した青白い蛍火が、先を争うように彼女の拳を目指して収束し始める。
 やがて拳の一点に凝縮されたそれは、激しい輝きを放つ巨大な光の塊となっていた。
「私は生まれつき、邪悪なエネルギーを撥ね付ける力が人より強いみたいでね。瘴気をたくさん浴びても、ほとんど体には影響ないみたいなの。こうやって、元々の“破邪の力”と白魔術の力とを組み合わせれば、それがそのまま武器になるのよ。この拳で殴れば、低級の異形程度なら一撃で消し飛ばせるんだから!」
 希望と活力に満ちたラナの表情はどこまでも頼もしく、傍らで見守るユダの心にも、どこからか勇気と情熱が湧き出してくるような思いがした。

「そういえば、ユダもガラハッドも、サイにスカウトされたんでしょ。だったら、何か特別な力を持ってるってことなのよね?」
 術式を解除し、再びソファに腰を落ち着けたラナは、わくわくしながらユダの答えを待ちわびているようだった。
『――君のその力は、誰にも真似できない特別な力だ。胸を張っていいんだよ』
 いつかの相棒の言葉を思い返し、ゆっくり頷いたユダは、テーブルに半身を乗り出したラナと、静かにこちらを見つめたままティーカップを傾けるメリルとを順繰りに見回していた。
「うん。実は僕、異形の急所を見つける力を持ってるんだ。それと、ある程度の距離までなら、異形の気配を探知することも出来るよ」
「すごいじゃない! どっちもきっと、未知の異形と戦うためには欠かせない力になるわね。他の守護騎士や候補者たちにも、そんな力を持った人は居ないと思うわ!」
「ほんと? 嬉しいなぁ」
 話を聞くや否や、我がことのようにはしゃぎ始めたラナを前にして、思わずユダは、頬のほころんでゆく感触をおぼえていた。
「異形の急所というと――“(コア)”のことですね! 素晴らしい力です、ユダ!」
 ところが次の瞬間、それまでのんびりお茶をすすりながら聞き役に徹していたメリルの態度ががらりと豹変し、ユダは内心ぎくりとさせられていた。
「そ、そうかな――ありがとう」
 ひびが入りそうなほどの勢いでティーカップを卓上に叩きつけたメリルの表情は、もはや感動などというものは飛び越えて、何かに陶酔しているかのような――吐き出された感情が、負の感情でないことは確かだと思うのだが。
「どうしましょう、どうしましょう」と、まるで恋路に迷う乙女のように、薔薇色に染まった頬を押さえたメリルは、ひたすら悶えている。
「異形の核が見えるということは、体表にそれが出ていなくとも、あの核の放つ虹色の光を捉える事が出来るということですか?」
「う、うん……そうだね。何度も見たことあるけど、だいたいどの核も同じ色だね」
 メリルの黒い瞳の中には、引きつり笑いを浮かべたユダの顔が映っている。しかし、きっと今頃あの目は、映り込んだものとはかけ離れた幻想を見ているに違いない。
 それがあの不気味な異形の一部なのだと知らなければ、彼女の姿はまさに、“憧れの異性に焦がれる乙女”そのものでしかないのだが――
「なんて素敵な力――叶うものなら私も、日がな一日それを見ていたい……」
「あの、メリル……?」
 ――そうして。
 ユダの中の“清楚で可憐なメリル像”は、この一瞬をもって完全崩壊していたのだった。
「とくにあのドロドロした《隷鬼(スレイヴ)》の核の放つ光彩の優美さと言ったら、全くもって喩える言葉が見つからないほどです。この世で最も美しい宝石とされる、ブルーダイヤモンドと並べても見劣りすることのないあの神域にまで達した絶佳の美を、言葉にしたためようとすること自体が愚かしいというか何と言いますか――いえあの儚い耐久性を踏まえて考えればそれ以上の価値すらあると考えるのが道理というか森羅万象の摂理というものでそもそもあの美しさが引き立つ所以は元々の醜悪なフォルムがあって初めてグロテスクさと脆さの絶妙なハーモニーを奏で」
「あー……もうダメだわ、こりゃ。開けちゃいけない引き出し開けちゃったわね、ユダ」
 矢のように思いの丈を吐き出し続ける隣人に呆れ果てた視線を送りつつ、ラナが頭を抱えていた。
 小さく手招きしてみせたラナは、ユダの耳元に口を寄せ、何やらこそこそと内緒話を持ちかけてくる。
「あのね。あの子普段はおとなしいし、すごく頼りになる子なのよ。だけど、異形の核の話となると、いつもああなっちゃうの。元々《審判》よりもずっと前――親の代から熱心に異形の研究をしてたっていう、珍しい学派に属してた子でね。彼女が守護騎士候補者に指名されたのはもちろん、異形に関する膨大な知識を持ってるからなんだけど――余計な引き出し開けちゃうと今みたく面倒なことになるから、取り扱いには注意しないとダメよ」
「そ、そうなんだ……」
「いい? 異形の話そのものは平気だけど、核の話は簡単に持ちかけちゃダメだからね?」
「うん、何かすごくよく分かった気がするよ……」
 メリルに異形の核の話は禁句。しかと心に刻んだ。と言うより、今後一生をかけても忘れられる気はもうしないのだけれど。
 メリルを守護騎士の候補にあげたのはレヴィンだという話だが、果たして彼は、彼女のこういう一面を把握しているのだろうか――
 あさっての方向をうっとりと見つめたメリルは、ちゃんと息継ぎをしているのか怪しくなるほどの凄まじい早口で、あれやこれやと熱弁を奮い続けている。しかし学者特有の専門用語が多いせいか、ユダにはほとんど意味を理解できなかった。
 おそらく、理解する必要のありそうな情報は、それほど含まれていないような気はするが――

 

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