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第一章『第六話:戦う理由・3』

「何だ、あの術? あんなの見たことないぞ!」
 驚きに身を乗り出したユダの鼓膜を、《犬鬼(ケルベロス)》の絶叫が(つんざ)いていた。
 異形の頭上に降り注いだ黄金の光は、おびただしい数の針の雨だったのである。
 痛撃を浴びに浴びせられ、《犬鬼》はたったの一瞬で、針鼠のような姿に変わり果ててしまった。鋭い悲鳴を撒き散らし、またしても獣は地をのた打ち回っている。
「凄えだろ? あれは“東方魔術(イースタン・マジック)”って言って、レヴィンの得意技なんだ。護符に込めた“コトダマ”とかいうものの力でいろんな現象を起こせるっていう、大陸外から伝わった珍しい魔術でな。俺たちの扱う黒魔術や白魔術は、森羅万象を司る六属性の神の力を借り受けて行使するが、あの東方魔術ってやつは、自然界に浮遊してるエネルギーを媒体として発現させるものなんだと。異形に対しては、大陸の魔術よりもかなり効力を見込めるみたいだぜ」
 次第に顔色の良くなってきたサイは、まるで自分のことのように得意気になって、レヴィンの妙技を語っている。
 彼の語った通り、レヴィンの術は目覚ましい成果をあげたようだ。今度こそ《犬鬼》は、眼前の“餌たち”などには目もくれぬ様子で、狂ったように悶え苦しんでいた。
 これであの不気味な“断末魔”が猛威を振るうことさえなければ、守護騎士二人の戦い振りをもう少しじっくりと観察する事も出来たのだが――僅かながらに生まれた余裕のおかげか、ユダの胸には今、悔しさにも似た思いが沸々と込み上げていた。
 そうして、深い絶望のはびこっていた“絶対的強者との対峙”は、次の瞬間、呆気なく幕切れを迎える運びとなる。

 たった一つでも何か、彼らの手助けが出来れば――
 そんな思いからユダは、ぐらつく意識を奮い立たせ、異形の急所を探り当てようとしていた。
 見えないままでは手も足も出せなかったが、異形との正確な位置関係さえ把握できれば、急所を探り当てることは容易い。心を落ち着かせ、平時の何倍も感覚を研ぎ澄ませたユダの二つの瞳は、獣の背中で光り輝く(コア)を捕捉していた。
「カイルさん!《犬鬼》の急所の位置は――!」
 大剣を脇に構え、無言のままカイルが疾駆に乗り出したその直後。
 ありったけを振り絞り、ユダは彼に助言を試みた――はずだった。
「うそ……!」
 しかし、感嘆の溜息がそれ以上の言葉を阻んでいた。
 たった数回の瞬きを挟む間に獣の懐へ跳び込んだカイルが、けたたましく風を斬り裂き、とどめの剣閃を浴びせたのである。
 針の痛みの方へすっかり気を取られていた《犬鬼》に、その一撃を避けようと動く気配は少しも感じられなかった。
 どすんと鈍い衝突音が聞こえた後で、湿った塊が散らばり落ちるような、奇怪な音が響く――それっきり、街の一角を覆っていた禍々しい気配はすっかり消え失せてしまったのだった。
「はは……お節介だったな、ユダ。あいつの場合、急所を見つけて狙いうちする技術なんてのは、ほとんど必要ねえのさ。一発でも叩き込んじまえば、よっぽどでかい相手でもねえ限りは、全身をぐちゃぐちゃに潰されて、即お陀仏だろうからな」
「そうみたいだね……僕も今、同じことを考えてたところだよ」
「あいつの馬鹿でかい剣は、元々騎馬兵を馬ごとぶっ飛ばすために作られた代物らしいからなあ。一応は剣の形をしちゃあいるが、硬い金属の塊なら、結局んとこ何だって構わねえのかもしんねえぜ」
「い、いや。いくら何でも、そんなこと言ったら失礼だよ……」
 口先では否定しながらも、心根はサイの発言に賛同したい気持ちでいっぱいになっている。カイルの大剣は、もはや“斬るもの”の(てい)をなしていないように感じられたからだ。
 先ほどのサイの話と、その少し前、カイルが異形を吹き飛ばしたときに聞こえた怪音とを抱き合わせ、現状を組み立ててみる。
 きっと今ごろ件の獣は、針鼠のようになっていたあの時より、もっともっと無惨な姿に変貌しているに違いない。鳥肌ものの惨状を目に焼き付けず済んだ事を思えば、《犬鬼》の体が炎を纏った影のようにしか見えなかったことは、ある意味幸運だったのかもしれないと思った。
 場にそぐわない脳天気を思いながら、ユダは息のひとつも乱さず、顔色のひとつも変えず傍らへ戻ってきたカイルに、小さく身震いをおぼえていたのだった。
 黒煙をあげてくすぶる異形の肉片を背にしたカイルは、ちらと視線を下げ、無機質にユダを一瞥する。
「さっき、何か言っていたか? よく聞こえなかった」
「あ……別に何も。いや、言おうとしたんですけど、そんなに大したことじゃないので……あはは」
 そんなカイルに乾いた笑いを向けたユダは、どうにかこうにか愛想を振り撒こうと必死になっていた。
 しかし彼は、強敵を駆逐せしめた達成感に浸ることもせず、苦笑するユダの目の前を、いかにも関心なさげに通り過ぎていこうとする。
 もしかすると、そのままここを立ち去ってしまうつもりだったのだろうか――慌てて駆け寄ってきたレヴィンに名を呼ばれ、ようやっと彼はその場に足を落ち着けていた。
 こちらには背を向けたまま、彼は何をするでもなく、ひたすらにぼんやりと佇んでいる。その様子はまるで、戦うことを除いてほかは、この世のあらゆるものに興味を示していないかのようにも見えた。
「すまないな、ユダ。こいつは誰に対してもこうなんだ。怒っているわけでも何でもないから、気にしないでやってくれ」
 ユダの戸惑いを察してくれたかのようなタイミングで、すかさずレヴィンが声を掛けてくる。にっこりとしてはいるものの、その笑顔はどことなくぎこちない。
 おそらくは彼も、元より愛想の良い性格というわけではなさそうである。しかし、身内の極端すぎる立ち居振る舞いを側で見聞きした手前、気を遣わないわけにもいかなくなってしまったのだろう。
 気まずそうに頭を掻くレヴィンを目の当たりにしたユダは、強張った頬が自然と緩んでゆく感覚をおぼえていた。
「僕の相方のほうがよっぽど酷いですよ。気にしてませんから、大丈夫です」
「酷いって何だよ、酷いって……」
 サイの治療が終わったのか、ユダのすぐ後ろにはガラハッドが戻ってきていた。法衣の裾の汚れを手で払いながら、彼は不服そうにこちらを睨めつけている。
「いやいやお前、性格は相当ひねくれてるけど、治癒の腕前は大したもんだぜ。もうすっかり元通りだ」
 ご満悦の様子でぶんぶんと腕を振り回したサイは、殺気を強めるガラハッドの視線を無理くり避けようとするかのように体を仰け反らせ、大口を開けて笑っていた。
「では、あとのことは巡回の者に任せて、我々は城へ戻るとするか。君たちも今日は疲れたろう。宿を取っていないのなら部屋を用意させるが、どうするんだ?」
「え! お城に泊まらせてもらえるんですか? や、やった……久し振りにまともな寝床で眠れ――」
 レヴィンからの思わぬ温情に、跳びはねて歓喜を表したユダであったが、突如後方から伸びてきた手に強く腕を引かれ、驚いた拍子にしこたま舌を噛んでいた。
 なんて乱暴をはたらくのかと、鉄錆の味を噛み締めながら後方を睨むと、そこに居たのは、への字に口をつぐんだガラハッドだった。
「まだ僕らは、貴方がたの依頼を受けると決めたわけではありません」
 そのままユダを後ろから抱きすくめたガラハッドの顔はどこか、お気に入りの玩具に触れられまいと必死になる、小さな子供のようにも見えた。
 何か変だな……どうしたんだろう。
 沈着冷静な彼が、こんなにも感情をむき出しにするのは珍しい。気に入らない人間を前にしても、いつもの彼ならまともに取り合おうとはせず、軽くあしらうような態度をみせるはずなのだが――
 据わりきった目付きで、彼は眼前の騎士たちに明らかな敵意を向けている。
 そんな彼の様子に困惑を強めたレヴィンが、「どういうことなんだ」と険しい面持ちで、隣のサイを睨めつけていた。
 相棒の機嫌を今以上損ねることのないようにと気を配りつつ、ゆっくりと捕縛の腕から逃れたユダは、くるりと踵を返し、まじまじとガラハッドを見上げた。
「ガラハッド――僕らは一刻も早く仕事を見つけなきゃ、そのうち飢えて動けなくなっちゃう身の上なんだよ? 騎士になれれば、寝食の心配をせずに済むだけじゃなくて、大勢の人の役に立てるんだ。こんなにいい話はないよ」
 一瞬たりと目を逸らさない気構えで、ユダはどんより曇った相棒の瞳を、まっすぐに見つめていた。
 大丈夫だ、僕は信じてる。
 彼はいつも何だかんだと口やかましいけれど、間近で向き合えば必ず理解してくれる、優しい心根の人間なのだ。
「またそんな風に駄々をこねるのか。僕にだっていろいろと考えてることが――」
「どうして? さっきから愚図ってるのは君の方だよ、ガラハッド」
「だって、僕は――!」
 そんなユダの強い思いが通じたのだろうか――話すうち、苛立ちで溢れていたガラハッドの目元に、少しずつ焦りと戸惑いの色が混じってくる。
「もしかしてお前、まだ俺のこと疑ってんのか? ホントに疑り深い奴だなぁ。どうせ俺が王宮お抱えの騎士だって話も、今の今までまともに信じてなかったんだろ」
「当たり前でしょう……易々と都合の良い話に食い付いて、痛い目を見るのは御免ですからね」
 いつも通りに毒づいてはいるものの、彼の声調子には、僅かながらに動揺が伺える。
 いいぞ、あとひと押しだ――
 口元を引き結び、再び追い討ちをかけるようにユダが強い眼差しを向けると、ガラハッドはあっさりと視線を外し、真っ向勝負を放り出す姿勢をみせた。
「しかし、まあ……レヴィンさんとカイルさんがここへいらしたことで、僕の疑いは見当外れだと分かりました。お二人の名は《審判》の以前から聞き及んでいましたから」
 そうして、何とも複雑そうなしかめっ面を浮かべた彼は、ようやっと観念したかのように、小さく息を吐いていた。
「それは光栄だな。サイは間違いなく国王陛下から叙任を受けた守護騎士の一人だ。俺が責任を持って保証しよう」
 確たる声音でレヴィンが言ってのけるや否や、傍らのサイはにっこりと屈託のない笑みを浮かべ、「それでこそ騎士団の年長者」などと威勢よく歓声を投じていた。
 あまり嬉しくないのか、言われた本人は苦虫を噛み潰したような顔で、またサイを睨めつけていたが――

 そんなことよりも、である。
「ねえねえ、レヴィンさんとカイルさんって、そんなに有名な人なの?」
 ガラハッドが二人の名を知っていると言い出したことは、とても意外だった。記憶喪失も関係してのことなのか、ユダにはてんで聞き覚えのない名だったのである。
 するとすぐさま、「本気で言っているのか」とでも言いたげな面持ちで、サイがこちらを二度振り返るのが分かった。
 よくよく辺りを見回してみると、サイほど露骨ではないものの、レヴィンとカイルの二人も、何やら言いたそうにこちらを見つめている。
 馬鹿正直に口にして良い話題ではなかったのかもしれない――一挙に集まった視線に気圧され、ユダは思わずたじろいでいた。
「ああ、すみません。彼女は《審判》より以前の記憶を失っているもので」
 咄嗟に謝罪の言葉を口にしかけるも、相棒の素早いフォローに救われたユダは、どうにか事無きを得ていた。するとたちまち、ユダを見つめるレヴィンの面持ちが一変する。
「そうだったのか……それは大変だったな。さぞかし苦労もあったろう」
 ああ、まただ。
 自身の記憶に関してを話題にあげると、大抵の人間が彼のような反応をする。記憶を失ったユダの心緒を思いやり、憐れみ、哀しみ、労わろうとする。
 けれどユダには、善意でしかないはずのその感情を、どう受け止めれば良いものかが皆目分からなかった。何故ならユダは、他人が思うほど己の境遇を悲観していないからである。
 ユダにとっては《審判》以後の、瘴気に蝕まれた世界の記憶が全て。相棒と共に生きてきた二年間の思い出だけが全てだ。元の記憶を取り戻せる保証などどこにもありはしないが、それでも構わないと思っていた。
 破滅を迎える以前の世界を知る人々は皆、今在るこの世界を“地獄”のようだと語る。けれど、記憶を失った自分には、この世のあらゆるものが目新しく、尊いものに見えるのだ。それゆえユダは、繰り返されてゆく日々のすべてに、迷いなく有意義を感じている。
 ――とは言え、焼け野に生き残った人々の笑顔を取り戻したいという大願は尽きない。皆々が懐かしげに語る、“緑溢れる世界”に興味がないと言えば、それは全くの嘘になるけれど。

 気まずい空気を持て余したユダが、息苦しさに喘ぎながら傍らを見遣ると、そこに居た相棒は気だるげにまた溜息をつき、淡々と言葉を連ねていた。
「レヴィンさん。貴方のその瞳――左右で色の違う妖瞳(オッドアイ)は、特別な血筋の魔術士にしか顕れない特徴のはずです。貴方はもしや、名門“エルンスト家”のお生まれなのではありませんか」
 長々と連ねたその言葉は、おそらくユダへの解説も兼ねているのだろう。
 しかし、いわゆる“一般常識”にひどく疎いユダには、それでもまだ分からないことだらけであった。
 一体そのどこが特別だというのか――困り顔でユダが首を捻ってみせると、彼は思案するようにひと呼吸置いてから、端的に付け加えた。
「エルンスト家といえば、王国北部の大都市《フェミア》の領主としても有名な家系だけど」
「フェミアの、領主様――?」
 そう補足されてすぐ、ユダは下腹がひくひくとむず痒くなるような居心地の悪さをおぼえていた。出し抜けに場違いな空気の中へ放り込まれたかのような、ひどい気後れを感じたのである。
 フェミアといえば、王国内ではウルヴァスの都に次いで大きな都市だったはずだ。北方の侵略国《アルスノヴァ》との国境付近に位置するその都市は、国防の要となる優れた魔術士を数多く擁する、堅牢な城塞都市だったと聞き及んでいる。彼は、その筆頭たる名門一族の出身者だというのだ。
 道理で、周りの騎士たちが絶大な信頼を寄せているわけだ――
 すっかり怖気づいたユダがよたよたと後ずさると、困ったように眉を寄せたレヴィンは、小さく咳払いを零していた。
「領主をつとめていたのは俺ではなく、父だ。それに故郷のフェミアは、他の都市と同様に、二年前の災厄の日に滅び去っている。エルンスト家の生き残りは、俺と妹のたった二人だけだ――その血統を語ることに、もはや意味などありはしない」
 そう言って彼は、闇色に染まった空の向こうを寂しそうに見上げていた。
 彼は知っているのだろうか――懐かしい故郷の、変わり果てた現在(いま)を。ユダが旅の途中で立ち寄ったフェミアの地は、見渡す限り真っ平らな地面が横たわっているだけの、荒涼たる死の大地であった。そこに人の営みの形跡はなく、もはや廃墟と呼べるものすらも残されてはいない状態だったのだ。
 切なげなレヴィンの二色の瞳は、記憶の奥に沈んだ、在りし日の情景を見ているのだろうか――
 そこまでを思ったとき、相棒が唐突にユダの肩を叩いていた。それ以上の思量は無用だとでも言いたげに、彼はゆっくりと左右へ首を振る。
 そして。
 良くも悪くもいつも通りに、彼の細かな解説は再開されたのだった。

「カイルさん。貴方は守護騎士団長の縁戚の方ではありませんか? 貴方のその鎧に刻まれているレリーフを見て、一目で分かりました。確か騎士団長のご子息が、貴方と同じお名前だったと記憶しているのですが」
 言われたカイルに目立った反応はなかったが、傍らにいたサイとレヴィンが、複雑な面持ちで目配せを交わす様が見えた。
 ガラハッドに限って、“記憶違い”の可能性は考えにくい気がするのだが――何やら気がかりがあるのか、二人は切り出す言葉を決めあぐねている様子である。
 そんな中、最初に沈黙を破ったのは、他ならぬカイル本人であった。
「父は死んだ。今の騎士団を束ねているのは、別の人間だ」
「――え?」
 思わず声をあげたのは、ガラハッドである。カイルの口調はやはり、僅かな言い淀みも含みも感じられないほど、ひたすらに淡々としていた。
「実はカイルの親父さんも、例の王宮で起きた“大量暗殺事件”の犠牲者なんだ」
「そうだったのですか……カイルさんのお父上は、かつて大陸随一と謳われた馬上槍(ランス)の名手だったはず。まさかそんな方までが犠牲になられていたとは――」
 重々しく呟いたガラハッドは、サイの言葉を噛み締めるようにゆっくりと頷き、何やら深々と考え込んでいる。
「ま、湿っぽい話はもう少し先延ばしにしようぜ。そんだけ分かってんなら、いい加減信用してくれたっていいだろ。四の五の言わずに、俺の依頼に付き合えよ。傷を癒してもらった礼もしたいし」
 しかし、打って変わって明るい声音で話し始めたサイが、彼の潜考を遮るように身を乗り出してきた。
 話し込むうちに、相棒がサイの話に乗り気でなかったことをすっかり忘れていた。慌ててそこへ便乗するように、ユダは声をあげる。
「そうだよ、ガラハッド! ここはサイさんたちについていこうよ!」
 するとガラハッドは、またすぐに元の仏頂面へ立ち戻り、鍔付き帽子の落とす影の向こうから、鋭い視線を投げかけてきたのだった。
「どうして君は……いつもそうなんだ」
 ユダの背後を陣取っていた民家の外壁にどんと片手を突き、ガラハッドは据わりきった紫暗の瞳で、至近距離からこちらを睨め付けている。
 ユダの鼻先に迫った彼は、確かに不機嫌そうではあるのだが、“鬼気迫る”といった様相ではない。
「君は僕よりも、会ってまだ間もないあの人のことを信用するっていうのかい? 記憶を失った君と、ずっと一緒に旅をしてきたのは僕なのに」
「ガラハッド……? いきなりどうしたの? 何か変だよ……」
 思わず退路を探ろうと目を泳がせるも、ユダの肩を掴んだもう一方の手が、頑なにそれを許そうとはしてくれない。
 何だろう、まるで人が変わってしまったみたいだ――
 理詰めでしかものを言わない彼が、ここまで脈絡のない発言で噛み付いてくるのは、本当に珍しいのだ。
 藁にもすがる思いで傍らを見遣ると、そこには苛つきを剥き出しにしたサイと、相変わらず何を考えているのかよく分からないカイルと、そわそわと落ち着きのなくなったレヴィンとが、三様の面持ちで立ち尽くしていた。おそらく助けは見込めそうもないと、すぐに分かる。
「ちっ……この二人に限っちゃ絶対シロだと思ってたのに……」
「君たちは、その――恋人同士なのか? 随分仲が良いようだが」
「ち、違いますよ! そういうんじゃありません!」
 かぶりを振って全力否定するも、おそらく説得力は皆無に等しいだろう。
 そんなユダの焦りを気にかけた様子もなく、相棒は相変わらずのペースでユダの鼻先めがけてまくし立ててくる。
「僕は元々、この街に長くとどまるつもりはなかったんだ。レヴィンさんたちが居る手前、黙っていたけど――君はこの街にやってきて、一切違和感を持たなかったのかい? 少しもおかしいところはないと感じたのかい?」
「えっ? な、なに……?」
 ひたすらに支離滅裂をまくし立てていたガラハッドだったが、その一部分だけがやけに気に掛かっていた。
 この街にやってきてからそんなこと、一度だって口にしたことはなかったのに――
 心当たりを探そうとして、ユダはふと脇を見遣る。
 すると、傍らにいた三人までが、妙に剣呑とした面持ちでこちらを見つめていることに気が付いた。
「それ、どういうこと? 僕は何も――」
「僕は反対だ。この街は――この街は――――」
 再び吸い寄せられるように、ユダは相棒の瞳を見つめる。
 ごくりと喉を鳴らしたユダの頬を、黒い革手袋に包まれた相棒の手のひらが、するりと撫で下ろしていた。
 そうして、指先に触れた温もりを名残惜しむかのように手を伸ばし、ゆっくりとユダの側から遠ざかっていったガラハッドは――唐突に視界の中から消え失せていた。ばたんという、派手な衝撃音とともに。
「……は?」
 震えがくるほど四肢を力ませていたユダは、真っ白になった頭を抱えて、音の聞こえた足元を追いかける。
 そこには、白目を剥いて仰向けに倒れた、相棒の変わり果てた姿があった。
「こいつ、酒臭いな……」
 小走りに駆け寄ってきたレヴィンが、眼前をぱたぱたと手で仰ぎながら、呆れ顔でガラハッドを見下ろしていた。
「マジかよ。もしかして、さっきのワインで酔い潰れちまってたのか? 顔に出ねえから、全然気付かなかったぜ」
 続けて現れたサイが、鞘に収まった剣の先でガラハッドを突付き始める。それでも依然として、相棒が目を覚ます気配はなかった。
「お前、また仕事中に酒を飲んでいたのか! あいつに酒を勧めたのも、どうせお前だろう!」
「怒るなって。円滑な関係を築くための持て成しってやつだよ。つまり接待だ」
「お前という奴は……!」
 苦笑いするサイに、レヴィンは歯軋りが聞こえてきそうなほど顔をしかめ、憤りを爆発させていた。
 そんな二人の間をすり抜けたユダは、道すがらで鍔付き帽子を拾い上げ、すっかり伸びきったガラハッドの脇に、おずおずとしゃがみ込んでいた。
 思えば、相棒がこれほどの醜態を晒すところを目の当たりにしたのは、初めてのことかもしれない。
「何でこんなになるまで飲んじゃったんだろう……危ないんじゃないかとは思ってたんだ」
「こいつらよりはずっと飲める奴だと思ったんだけどなあ。読みが甘かったか」
 いつまでも脳天気をやめないサイを、軽く睨み付けてやる。すると彼は、先ほどよりも一段と面白くなさそうに口元を尖らせ、ふいとそっぽを向いてしまった。
「こうなったら放ってはおけない。ユダ、今から彼を城まで運ぶぞ。いいな?」
「は、はい」
 真向かいへしゃがみ込んできたレヴィンが、さっとガラハッドの半身を助け起こす。
 間近に見たレヴィンは、サイのひと回りほども体格が良く、想像よりも随分がっちりしていた。自分ともさほど大差ない、華奢な体格のガラハッドと比べると、殊更たくましく見える。
 そんな風に他事を思ったのも束の間、レヴィンはすいとユダの背後を見上げ、確たる声調子でこう切り出していた。
「そういうわけだ、頼むぞカイル」
 数度瞬きをした後で、ようやっとユダは、いつの間にかカイルがユダの真後ろへ場所を移してきていることに気が付く。
「承知した」
 短い返事とともに、ガラハッドの胴回りを無造作に掴み上げたカイルは、いとも容易く彼の体を肩に担ぎ上げ、そのまま振り返りもせずに歩き出してしまった。
 丸太か何かのように持ち上げられたガラハッドは、為すがまま振り子のように、カイルの背中でふらふらと揺られている。
「え? あ、あの……! カイルさん、ちょっと……!」
「おい。あんな風に運んだら、ガラハッドの奴、吐くんじゃねえのか? ああ、でもマントがあるから鎧が汚れるこたぁ無えか。あいつなら気にしねえだろ」
「ちょっとちょっと……それまずいやつでしょ! カイルさああん! 待ってくださーーい!」
 ひとかどの重装を纏っているにもかかわらず、カイルの歩く速さはユダよりも数段速いらしい。
 血の気の引く思いと格闘しながら、ユダは考えるより先に駆け出していた。

 

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