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第一章『第四話:戦う理由』

 ある日、未曾有の災厄が全世界を焼き尽くした――今から二年ほど前のことだ。
 後に《最後の審判》と呼ばれたその大災害によって、安らかに、淡々と時を刻んでいた世界は、大きくその方向性を歪められてしまった。
 どこからともなく押し寄せてきた、忌まわしい気配の塊――総じてそれらは“瘴気”と呼ばれる――が大陸全土を包み込んだ瞬間、途轍もなく大きなエネルギーが弾け飛び、地表を蹂躙したのである。
 爆発によって生まれた猛烈な熱波は、広大な大地を、海を、恐ろしい速さで次々と呑み干していった。
 やがて、大陸東部に領土を広げる《トランシールズ王国》の一部――王都ウルヴァスの半域を残し、世界は焦土と化した。

 そして、災厄の日を皮切りに――まるで、地上の破滅を待ち侘びていたかのように。以前はごく少数の目撃例が囁かれるのみであった“異形”と呼ばれる謎多き怪物たちが、降って湧いたように大陸各地を跋扈(ばっこ)し始める。
 その見目形(みめかたち)は、醜悪にして奇怪。既存の生物からは大きくかけ離れた、特異な生態を持つ――千姿万態の異形たちの共通事項は、人という種を好んで糧とする点。そして、“瘴気”の色濃く立ち込める場所を好む習性があるという点だ。
 災厄の訪れと共に溢れかえった瘴気は、今も尚、薄れることなく全世界に蔓延(はびこ)ったままとなっている。
 地上の生き物にとって、瘴気は害毒そのものだ。長く取り込み続ければ、時に命を脅かす要因となり得る。
 肺腑を蝕まれるもの。光を奪われるもの。心を病み、狂気に憑かれるもの――そして近頃ではとうとう、肉体そのものが大きく変貌を遂げ、忌むべき異形に成り果ててしまうものまでが現れるようになった。

 異形とは何者なのか。
 瘴気は、どこからやってきたのか。
 そして、災厄の引き金となったものは何だったのか――
 すべては、未だ謎に包まれたままである。



 たった一瞬の出来事で、世界の在り方そのものが大きく狂ってしまう――果たしてそんなことが、本当に起こり得るのだろうか。
 相棒の口から《審判》にまつわる話を聞かされたとき、ユダの心に浮かんだ想いは、そんな客観的とも言えるものだった。
 何故ならユダは、自分の気持ちとしては“災厄に遭遇していない”ような気になっていたからである。
 しかし現実として自分は、たった今ここにしっかりと生きている。焼け野に残された人々と同様、ユダ自身が二年前の災厄の瞬間に直面していたことは、動かしようのない事実だ。
 そのくせ客観的にしか《審判》への思いを語る事が出来ないのは、自身の中から、悲劇の日より以前の記憶が、ごっそりと抜け落ちてしまっているせいだった。
「記憶喪失?」
 なみなみとグラスに注がれたワインを、喉を鳴らして豪快に飲み干したサイは、細長い真紅の瞳を大きく見開いた。空っぽになったグラスが勢いよくテーブルに叩き付けられると、酒場の喧騒を切り裂くように鋭い音が響く。
「そんならお前……《審判》のときに何で自分が助かったのか、覚えてねえのか?」
「うん、そうなんだ。気が付いたときにはもう、ガラハッドと旅をしていて――あの日から前の事は未だに何も思い出せないんだよ。だから自分の記憶(ルーツ)を探す傍ら、二人で《審判》の起こった原因を調べながら旅してたんだけど」
「ってことは……ガラハッド。お前にも、ユダの記憶が失われた原因はわかんねえってことなのか?」
 ユダの言葉のひとつひとつを噛み締めるように頷きながら、サイはユダと、その隣の相棒とを見比べていた。
 ところが、黙々と食事を続けるガラハッドは、サイの質問に答えようとしないばかりか、目を合わせようともしない。
 まったくもう――意地を張り出すと長いんだから。
 見兼ねたユダが代わって頷くと、いかにも面白くなさそうに瞳をすがめたサイは、「ふうん」と小さく零していた。
「じゃあ、お前らが出会ったのは《審判》の後ってことだよな? その時の状況ってのは――」
 刹那、ひやりと背筋に冷たい感覚が走り、頭の後ろに鈍い痛みが差し込み始めた。
 まずい。()()始まってしまった。
 目の前の景色がじんわりと滲み、周囲の喧騒が僅かに遠くなる。痛む箇所を無意識にさすりながら、ユダは思わず膝の上でぎゅっと両手を握り固めていた。
 ――その時のことである。
「そこまでです。これ以上突つくのはやめていただきたいですね」
 濁った意識の中に、やけにはっきりとした相棒の声が流れ込んできた。
 はっと顔を上げたユダの頬は、大量の冷汗に濡れていた。呼吸は激しく乱れ、握り締めた拳は小刻みに震えている。
 そして目の前には、これまでずっと手離さなかったワイン瓶をテーブルの隅に押し遣り、険しい表情でこちらを覗き込むサイの顔があった。
「おい、大丈夫か?」
「あ……うん。平気だよ、サイさん」
「もしかして、この話は禁句(タブー)だったか? 悪かったな、すぐに気が付かなくて」
「ううん、いいんだ。僕としてはもっと話したいんだよ。でも、記憶を無理に掘り起こそうとすると、いつもこうなっちゃって……」
 苦々しく微笑んで、ユダはごしごしと拳で頬の汗を拭った。
 ――ああ、今日も駄目だった。
 記憶の(おり)を掻き分けようとすると、決まってこの煩わしい痛みが邪魔をしてくる。(すく)いかけた何かを、いつも同じところで手放してしまうのだ。
 この(うるさ)い頭痛のおかげで、どれだけ歯がゆい思いを味わってきたことか――唇を噛んだユダは、浅く肩にかけた蜜柑色のケープをぎゅっと握り締めていた。
「ま、焦る気持ちも分からなくはねえが、だからって無理はやめとけよ。今はまだ、記憶を取り戻す時期じゃないってことなのかもしんねえだろ」
「時期じゃないって……どういうこと?」
 脇に退けたワイン瓶を再び取りあげたサイの口調は、鼻歌でも歌いだしそうなくらいに呑気なものだった。
 こちらは真剣に話しているのに――!
 相手の軽口にほんのりと苛立ちを感じたユダは、頬をひくつかせてサイを()めつける。
 反論を口にしかけるも、鼻先すれすれの位置にぬっと現れた新しいワイングラスが、それを遮っていた。
「どんな些細なことだって、物事にゃあ最良の結果を導くための順序とタイミングってもんがあるんだ。お前のその兆候だって、“記憶を取り戻すのはもっと後の方がいい”っていう、神様の啓示ってやつなのかもしんねえだろ。気負わずに、のんびり構えてんのが一番なのさ」
「神様の……?」
 思わず素直にグラスを受け取ったユダが、おうむ返しに答えると、「そうだ」と頷いたサイは白い歯を剥き出し、にやりと屈託なく笑っていた。
「あなたは神の恩寵を信じているのですか? あまり信心深いタイプには見えませんが」
 その時、葡萄色(ボルドー)に染まったグラスをさっとユダの手の中から取り上げたガラハッドが、皮肉たっぷりの横槍を差し入れてきた。
 掠め取ったグラスにそのまま口を付け、何を思ったか彼は、先ほどのサイに負けず劣らずの勢いで、グラスの中身を空けにかかろうとしている。
 大丈夫なのかな――彼、酒にはそんなに強くないはずなのに。
 二人の間に一触即発の気配を感じ取ったユダは、思わず息を呑み、いつでも割って入れるようにと努めて身構えていた。
「さあ、どうだろうな。けど今はこんな世の中だ。たとえ信心深くなくたって、誰でも何かに(すが)りたくはなるもんさ」
「……くだらない」
 とどめとばかりに、刺々しく言い放つガラハッド。
 しかし、意外にもサイは怒り出すどころか、依然穏やかな表情を浮かべたままでいる。
 酔いの力も手伝ってのことなのだろうか――どうやらユダの懸念は、徒労に終わってくれたらしい。
 ほっと胸を撫で下ろしたユダは、相棒の傍らに置かれていた小さめのグラスを掴むと、迷いなくそれを飲み下していた。ちなみに中身は、ただの水である。
 ――それにしても、なんて美味しい水だろう。
 澄んだ水を飲み干すと、疲労に揺れていた意識までが、すっきりと冴え渡ってくるような気がした。
 王都の南端を流れる《ルース川》は、災厄の後も尚、瘴気の汚染を受けることなく、清らかな流れを保ったままでいるらしい――城壁の外で聞き及んだその噂は、紛れもない真実であったようだ。
「それで、お前らがこの王都へやってきた理由は? 旅の骨休めか、それとも――仕事を求めてやってきたってクチか」
「そうだね。両方、だよ」
 冴え冴えとした頭で、改めてユダは、賑わう酒場の全容をぐるりと見渡していた。

《逢魔の森》で束の間、勝利の余韻に浸っていた三人は、すっかり日が没してしまう前にと、ユダの怪我の治療を終えてから、早々に森を立ち去っていた。
 現在三人が夕餉を囲むこの店は、城下北東の街外れにぽつんと佇む――《青銅の(ふくろう)亭》という酒場である。
 ここは森のすぐ側だ。ひょいと窓の外を覗けば、逢魔の森の梢がざわざわと薄気味悪く揺れているのが見える。
 けれど、恐れることは何ひとつない。()の異形たちには皆どういうわけか、“王都の敷地に立ち入ることが出来ない”という奇妙な性質があるからだ。
 つまり――たとえどれほど廃れた場末の酒場であろうとも――ここは、命の危険に怯えることもなく、ひたすら空腹を満たすことだけに専念できる、まさに“聖域”なのである。

 それにしても、だ。
 夕飯時には少しばかり早めの時間であるとはいえ、この店には今、テーブルについている客がほとんどいない。ところがその代わり、カウンター席の周辺だけがガヤガヤと異様なまでに騒がしい。
 喧騒を撒き散らす面々は、ほぼほぼ全員が、酒場の店主の斡旋してくれる儲け話――つまり“仕事”を求めて押しかけてきた者たちばかりである。その勢いと数といったら、“凄まじい”の一言には到底収まりきらぬほどだ。
 只今の財政難を思えば、近いうちには自分も、あの“戦場”へ混じらねばならないことは確実なのだが――そのために必要な勇気と体力は、少々どころではてんで不足であろう。
 げんなりとしながら、ユダは深々と息を吐いていた。
「だけど、考える事はみんな同じだよね……この王都が大陸で唯一、人のたくさん集まる場所だってことになると、仕事を求めてやってくる人の数も半端なく多い。初めは活気のあるところへ出向きさえすれば、それなりに仕事は見つかるだろうって思ってたけど……それがどれだけ甘い考えかってことが、ここ数日で身に染みて分かったよ」
 本来ならば二の次仕事であるはずの斡旋業が、すっかりこの酒場では本業に取って代わってしまっているらしい。
 空になってしまったグラスのお代わりをせびろうと背筋を伸ばしてみても、酒場の従業員たちはまるで相手にしてくれない。
 どうにか目を合わせられたと思っても、もはや「食事をしに来た客の相手などしている暇はない」とでも言いたげに、露骨に視線を逸らされるばかりであった。
 瘴気に冒された“外界”の水は、鉄錆のような濁った色と、強烈なカビ臭さを帯びに帯びている。魔術による厳重な浄化なくしては、飲めたものではないのが実状だ。迂闊に口にしようものなら、たちまち瘴気の毒素が体中に廻り、命を落とすことも有り得るらしい。
 正直なところユダは、この王都にやってくるまで、水が本来、無色透明をしていることなど知りもしなかった。
 とことんまで汚染の進んだ外界では考えられないことだが、豊かな水源を持つこの王都では、飲み水はいくらでも手に入る。財布に痛手を被らず腹を膨らませることの出来る“水”を、暇さえあればがぶ飲みしようとしてしまうのは――この都に流れ着いてからすっかり身に付いてしまった、ユダの悲しい習癖であった。

「で、僕らに“依頼”したい仕事とは一体何なんですか? 資金難だと言っているのに、話があるから食事に行こうと誘ったのは貴方ですよ。これで大した稼ぎにもならない話を吹っ掛けられたとしたら、貴重な時間を潰されたことに慰謝を示して頂かなくては、採算が取れません」
 目の前の料理を残らずたいらげてしまったガラハッドは、先ほどから他人の身の上話にばかり花を咲かせているサイに、すっかり嫌気が差してきているようだった。心底面倒臭そうに頬杖をつき、彼は半ば睨むような目つきでサイを見つめている。
 しかしながら、尚もがばがばとワインをあおり続けるサイは、依然としてマイペースを崩さない。
 もしかすると彼は既に、ガラハッドのこういう態度は元からのものだと早々に理解し、割り切ってしまったのかもしれない。
「まあまあ、そう急くなよ。依頼を引き受けてくれるんなら、ここの支払いくらい俺が引き受けてやるからさ。つーか、俺の望みを叶えてくれりゃあ、向こう数年は一切、金の心配なんてしなくて済むぜ」
「ほ……ほんと?」
 サイがチラつかせてきたのは、予想を遥かに上回る好条件だ。
 一気に興奮を隠し切れなくなり、ユダは考えるよりも先に、勢いよく立ち上がっていた。背もたれ付きの木製椅子が床へ転がる音が聞こえたが、もはや知ったことではない。前のめりで齧り付くようにテーブルの淵を掴み、ユダはサイの得意顔に食い付いていた。
「ねえ! それ、ほんとなの?」
「ああ、本当だ。お前に嘘はつかねえよ、ユダ。ただそっちの相棒相手なら、保証はしねえがな」
 言われて傍らを振り返ってみると、件の相棒は怪訝げに瞳を曇らせ、露骨に胡散臭いものを見る目でサイの姿を眺め回していた。
 他人の言葉を滅多と受け入れない彼のことだ。おそらくサイの持ち掛けた話も端から信用してはいないのだろう――ただ、口を挟まずに黙っているところを見ると、根本から拒絶したいわけではないらしい。自分でも先ほど言っていた通り、資金不足に喘ぐ身の上なのは、もちろん彼も同じなのである。
「焦らすな」と訴えんばかりに、ガラハッドはがっちりと腕を組み、ブーツの踵で貧乏揺すりを始めていた。
 下手に話を遮れば、どんな小言をぶつけられるか分からない空気だ――ここはおとなしく聞き役に徹していよう。
 ユダは倒れた椅子を立て直して腰掛け、静かにサイの続投を待った。
「結論から言うと、俺はお前ら二人を、王国お抱えの“騎士団”へ招き入れたいと思ってる」
『騎士団……?』
 素っ頓狂な二つの声が重なっていた。
 しかし、こちらの反応などお構いなしで、サイは陽気に意気込みながら、尚も提案を続けようとする。
「もちろん、旅を続けられなくなることは分かった上での頼みだ。けど、決して悪い話じゃないぜ。このトランシールズも、国を挙げて《審判》の原因究明のための調査を行ってるんだ。どうせやるんなら単独でやるより、大きな組織の後ろ盾があった方がやりやすいって思わねえか?」
 ――至極まともな話である。突っつきどころなんてものは、どこにも見当たらないくらいに。
 相棒ほど露骨なものではないにしろ、ユダにも少しくらい、「この見るからに軽薄そうな男の口から、そうまともな話など聞けるはずがない」と、疑う気持ちはあった。
 ところが実際に彼の口から飛び出したのは――まさかの“王国”という明確な雇い主(スポンサー)。出処の不確かな仕事も氾濫しているこの時世では、群を抜いて“まとも”な話であると言えよう。
 ――そういえば彼は、自らを“王宮の関係者”だと言っていたような気がする。
 思わず隣の相棒を見遣ると、彼もまた驚きを隠せない様子でこちらを見つめていた。
「トランシールズ王国には、“守護騎士(ガーディアン)”って呼ばれる騎士たちがいるのを知ってるか?」
 予想だにしない方面から太刀筋を浴びせられたおかげで、ユダとその相棒は、すっかり二の句を継げなくなってしまっている。
 そんな二人を満足げに見つめながら、サイはますます上機嫌でワインをあおり、いつの間にやら三本目を空けてしまっていた。もはや水と大差ない勢いである。
「聞いた事はあるよ。大陸最強、最大規模って言われてたトランシールズ騎士団の、更に選りすぐりを集めた精鋭たちのことでしょ? でも――」
 それなら以前、本で読んだことがある――揚々と話し始めたまでは良かったが、すぐさまユダは、相棒から教示された“夢のない”豆知識までを思い出してしまっていた。
 その先を話すことにためらいを感じ、ユダは思わず、戸惑いがちに傍らを見遣る。
 唐突に言葉を詰まらせたユダを振り返ったガラハッドは、目を合わせるや否や、「やれやれ」とばかりに頭を掻いて、不甲斐ない相棒に代わって言葉を続けてくれた。
「実際のところ守護騎士というのは、世襲や政略に汚された、名ばかりの地位に過ぎなかったと聞いています。本当に実力のある者は、ほんの一握りだったと」
「おう。さすがに言うね。だが、正直なのはいいことだ」
 ところがサイは顔色ひとつ変えず、むしろ率直な指摘を歓迎するかのような態度を見せた。「お前もちゃんと分かっていたんだろう」と鼻先を覗き込まれ、ユダはたじろぎながらも小さく頷いていた。
「つい先日のことだが、王宮でとある深刻な事件が起きた。たった一晩の間に、国の中枢を担う要人たちが、正体不明の存在に次々と殺されちまったんだ」
「また別の話か」と言い掛けて、ユダは思わず口を塞いでいた。
 話題を変えた途端に、サイの面持ちが、ずんと重く沈み込んだように見えたからである。
「正体不明の存在……?」
「ああ、そうだ。何でそういう表現を使ったかって言うとだな――」
 軽妙な語り口調とは裏腹に、サイの表情はひどく浮かないものだった。燃えるような紅玉の瞳を冷たく(かげ)らせ、彼は尚も変わらぬ調子を続ける。
「実際に()()()()を目撃した奴が一人も居ねえからだ。騒ぎが起こったのはほんの束の間のことで、瞬きすら間に合わねえくらいの一瞬の間に、信じられねえくらいの数の人間が死んだ。しかもそいつらは全員が全員、体中をズタズタに切り裂かれて殺されてた。殺された要人たちの王宮での地位(ポスト)はいろいろだったが、とりわけ大きな被害を受けたのは守護騎士たちだった。その僅か数瞬の間に、十二人居た守護騎士のうちの六人が殺されたんだからな。そん中にゃ、鼻で笑っちまう程度の実力しか持ち合わせてねえボンボン共も居たが、並の騎士が束になったって勝てねえくらいの手練(てだ)れだってちゃんといた」
 話し続けるにつれ、穏やかだったサイの感情が静かに高まってゆく気配を感じていた。
 もしかすると、その“殺された要人”とやらの中には、彼の大事な仲間も混じっていたのだろうか――けれど今のユダに、それを尋ねる勇気など到底起こってはこなかった。
「どうして、そんなことが……」
 どんな顔して聞いていればいいのか、分からない。
 困惑しながらもユダは、翳りの強まってゆくサイの顔を、じっと見つめ続けていた。
 大陸で唯一の“安住の地”と噂されていたこの都で、それほどの重大事件が起きていたとは。
 噛み締めるたび憤りの募る話だ。どれほどの惨状だったのかと想像するだけで、胸の奥にしくしくと痛みが差し込んでくる。
 件の“暗殺者”の正体とは、異形だろうか? 異常としか言いようのないその手口から推測するならば――地上の生き物からは及びもつかない生態を持つ彼らなら、有り得ぬ話ではないような気がする。
「ガラハッド、君は――」
「君はどう思う?」と、もはや習癖のように傍らを振り返り、ユダは彼の見解を聞き出そうとする。
「話に水を差すようで悪いのですが」
 しかし、さっと片手を上げてユダの発言を制したガラハッドは、ひどく温度のこもらない淡々とした眼差しで、静かにサイを捉えていた。
「まさか――その事件とやらで生まれた“欠員”の穴埋めを、僕らに任せようという魂胆ではないでしょうね」
「ちょ、ちょっと」
「もしもそうだとしたら、それなりの戦闘能力を見込んだというだけで、一介の流れ者に過ぎない僕らに、何故そこまで重要なお役目を?」
「ねえ、ガラハッド――」
「街で一度もそんな噂を聞かなかったことから考えると、王宮で起きた事件のことは、都の民たちには伏せられたままになっているのではありませんか? 無用な混乱を避けるためと考えるならば、それは賢明な判断でしょう。しかし、それをどうしてわざわざ僕らに? 大勢の同志を殺されたと話して同情を誘えば、容易く協力を得られるとでも思いましたか?」
「ガラハッドってば! いくら何でも無神経すぎるだろ!」
 頭の内側が瞬時に煮え立つ感覚があり、思わずユダは握り固めた拳をテーブルに叩き付けていた。
 耳障りな音を立てて卓上のカトラリーが跳ね上がる。その瞬間、カウンターの一点に集中していた客たちの視線が、一斉にこちらへ集まる気配を感じた。ようやっとそこで自らの激情に気が付いたユダは、慌てて唇を引き結び、こそこそと背中を丸めていた。
「どうして? 僕らの今後を決める大事な話だよ。これくらい当然の質問じゃないかと思うけど」
 ところが例外なくガラハッドは、別段悪びれた様子もなく、しれっと言い放っていた。
 この期に及んで――と言うのも、もはや今更だろうか。
 どうやら彼は先ほどの話を、一切の個人的感情を交えず、ひたすら客観的に吟味していたようだ。
 さすがのサイも、怪訝げに表情を曇らせる――とばかり思っていたのだが。
「いや、いいんだ。理解が早くて助かる。同情を引こうとしてたってのは見当違いだが、俺の狙いは、(おおむ)ねお前の言った通りだよ。俺は王宮からその穴埋め工作のため、見込みのある人材を集めてくるようにと指令を受けた守護騎士の一人ってわけだ」
 何故だかそれまでの浮かない表情を一変させたサイは、得意げに親指で胸元をつつきながら口角を上げてみせた。
「なんて安易な――」
 対するガラハッドは、ますます面持ちを曇らせるばかりだ。眉間に深く皺を刻み、もはや怒りすら抱いているような顔付きである。
 俄かに両眼の端を吊り上げたガラハッドは、「いいですか」と前置きしてから大きく息を吸い込み、細長い目をきょとんと見開いたサイに向かって、勢いよくまくし立てていった。
「下っ端の見習い騎士になれと言うならまだわかりますが、見ず知らずの人間をいきなりそこまでの重要な地位につけようだなんて、馬鹿げてます。騎士団とは軍隊でしょう? 軍隊というものは、(たゆ)まぬ訓練と強い結束によって統率が取れているからこそ、比類のない強さを発揮するものだ。そこに僕らのような得体の知れない馬の骨を組み込もうだなんて……寄せ集めの混じった集団なんて軍隊じゃない、そんなものはただの烏合の衆ですよ」
 長々と非難の言葉を浴びせたガラハッドは、心底大儀そうに顎先を背け、ふんと鼻を鳴らした。
 言われたサイは、しばし瞬きも忘れて固まっていたが、すぐさま余裕を取り戻し、再び不敵な笑いを零してみせていた。
「へっ……なかなか容赦のない言い回しだな。儲け話を持ち掛けてやってんのに、まさか逆に説教たれようとする奴が出てくるなんて、思いもしなかったぜ。ま、おべっかが大好きなどこぞのボンボン共と比べりゃあ、遥かにマシだ。でもな、ガラハッド。残念ながら俺らのリーダーは、そんなこともわからねえほど馬鹿な人間じゃねえよ」
 肩をすくめ両手を上げたサイは、強烈な嫌味をぶつけられたすぐ後だとは思えないほど、清々しく笑っていた。
「烏合の衆って言い方は間違っちゃいない。俺がその典型例だからな。俺は貴族でも、ましてや平民でもねえ。城壁の外の吹き溜まり――貧民街(スラム)の出身者だ」
 何でもないことのように言われたその直後、ユダとガラハッドはこっそりとほんの一瞬、視線だけを交差させていた。
「道理で……剣の(かた)がめちゃくちゃだと思ったんだ。あれって完全に我流だよね。誰かから習ったものだとは到底思えなかったな」
「それ以前に貴方が貴族でないことは、素人でも見ればすぐにわかりますよ。貴族らしい品性なんて、少しも感じられませんから」
「お前ら、二人まとめて来られるとあんまり笑えねえんだよな……その冗談」
「冗談で言ったつもりはない」と畳み掛けようとして、ユダは思わず口をつぐんでいた。
 降りかかる誹謗中傷の嵐に、さすがの彼も心証を損ねたらしい。眼前のサイはひたすら口端を引きつらせ、ぎこちない笑みを浮かべている。
「だけどな、ガラハッド。軍隊ってのは戦争する相手がいるからこそ存在価値のあるものだろ。今の世の中に、人間同士で乱痴気やらかすための組織なんて、必要とされてると思うか?」
「街の治安を維持するという点では、確かに武力も必要でしょうが――他国と渡り合えるほどの大きな武力は、ほぼ必要無いと言えるでしょうね。この広大な大陸にはおそらくもう、ここを除いて他は“国”と呼べるような集団は存在しません。戦いを始めようと言うなら、間違いなくその相手は人ではなく、異形であるとすべきだ。こんな世の中でくだらない小競り合いを起こすような集団に、多くの人間の信頼が集められるとは思えません」
 再び腕を組み、険しい思案顔を浮かべたガラハッドは、淀みのない口調ですらすらと言ってのけた。
「そう、まさにその通りだ。地上に生き残った人間が全力を挙げて戦うべきなのは、悪趣味に人を喰う異形どもを除いて他に居るはずが無え。この荒廃した王国に最も必要とされてんのは、そのクソッタレどもに立ち向かうための大きな力だ。トランシールズ守護騎士団は、今まさに、新しい組織へ生まれ変わろうとしてる。俺たちのリーダーはこれを機に、金と欲にまみれた上っ面だけの組織を、根本から生まれ変わらせようとしてんのさ。破滅の時代にふさわしい、民衆の希望の礎となれるような組織にな」
「民衆の、希望の礎――」
 空になったワイングラスを静かにテーブルへと戻したサイの表情は、確固たる自信に溢れていた。
 彼の熱弁にいたく聞き入っていたユダは、胸の内側で暴れる感情をどうにか押さえつけようとするあまり、開きっ放しの口を塞ぐことさえ忘れてしまっている。
 強靭な意志の宿るサイの紅眼は、輝かしいまでの光に満ちている。そこには彼の語る“リーダー”への厚い信頼と、並々ならぬ情熱の丈が伺えた。
 荒れ果てた大地で生きてゆくことを余儀なくされ、誰もが奈落の底へ落とされたかのように希望を失っているこの世の中で、彼のような真に明るい目をした人間に出遭ったのは、随分久し振りのことであった。
「だけど……だけどな。いくら理想を並べても、現実として頭数が足りねえんだ。だから今は、確かな素性がどうのこうのと、選り好みしてられる余裕なんてねえんだよ。こうしてる間にも――」

 ――そんな折のことである。
 これまで流暢に話し続けていたサイの顔付きが急変するのが分かった。驚愕に目を見張ったサイは、ひどく落ち着かない様子で、きょろきょろと周囲を見回している。
 反射的にユダがそれに倣うと、大きく開け放たれたガラス窓の向こうから、風に乗ってけたたましい鐘の音が届いている事に気付く。
「くそ、“非常召集”だ――!」
 悔しそうに歯を食い縛ったサイは、まだ僅かに中身の残った“四本目”が倒れて転がったことも気にせず、勢いよくテーブルから立ち上がっていた。
「皆よく聞け! 俺はトランシールズ守護騎士団、第一部隊長のサイだ! たった今、街で緊急事態が起きた!」
 声高々にサイが名乗りを上げた途端、騒然としていた店内が、水を打ったように静まり返る。
「いいか、お前ら! 外でどんなことが起きようと、下手にここから逃げ出そうとするんじゃねえぞ! 死にたくなけりゃ、俺の言う通りにしろ!」
 つい先ほどまで威勢たっぷりに騒ぎ立てていた店主も、客も。気が付く頃にはすべての人間が、サイの呼び掛けに、ただガクガクと上下に首を振って答えるほか、術をなくしていた。
「サイ様! ここにおいででしたか!」
 刹那、武装した王宮の騎士と思しき一人の男が、半ば扉を蹴破るような勢いで酒場に飛び込んできた。
「どうか応援を! この酒場の裏手に《犬鬼(ケルベロス)》が現れました! 巡回の者だけではとても対処しきれません! 王宮よりレヴィン様とカイル様がこちらに向かわれているとの連絡を受けましたが、このままではじきに街の者にまで被害が及んでしまいます!」
「わかった……すぐ行く! ユダ、ガラハッド。頼む、お前らも加勢してくれ!」
「どうして街の中に異形が」などと、悠長に思案している余裕はない。
 騎士の話が事実ならば、異形はユダたちのすぐ近くに潜んでいることになる。店内が危険地帯と化すのも、まさに時間の問題だ。
 しかも相手は、《犬鬼》だって?
 噂でしか聞いたことは無いが、危険度で言えば、今しがた遭遇した《隷鬼(スレイヴ)》の遥か上を行く化け物だ。
 頷き合った三人は、先を争うように騎士の後へと続き、酒場を飛び出していた。

 

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